孤独のグルメが韓国に!?

ドラマ

テレビ東京開局60周年特別企画『劇映画 孤独のグルメ』が2025年1月10日(金)に全国公開。

松重豊が監督・演出・脚本を手掛けており、パリや韓国も舞台となる今作品。釜山国際映画祭にも正式出品され注目を集めている。

これに先立ち韓国のファッションマガジン「marie claire Korea」のインタビューに松重豊が登場。その内容を翻訳してご紹介。

初めまして、監督としてお会いできましたね(笑)。

僕も監督になって作品についてインタビューを受けるという状況は、かなり新鮮で、うれしいです。 精一杯お答えします。


昨日と今日、釜山国際映画祭で映画「孤独のグルメ ザ・ムービー」の上映後、観客と会いました。 監督として感じた感想をお聞かせください。

孤独のグルメは12年間放送されてきたTVシリーズです。 マンネリ化の危機感を持った時期もありました。 映画に変身して、より多くの若い観客と出会えば、TVシリーズとして継続できるのではないかと思いました。 そうして映画化が始まったのです。 しかし、昨日の初上映に集まった多くの若い観客を見て驚きました。 私はアイドルスターでもなく、さらにこの物語にラブストーリーが含まれているわけでもないのに、多くの若い方が興味を持って映画を見て、深い質問をしてくれたので、とても有意義な時間を過ごすことができました。


映画「孤独のグルメ ザ・ムービー」の監督、脚本、主演を引き受けたというニュースに、長い間このシリーズを愛してきた人たちが大歓声を上げました。 映画を率いる適切な監督が見つからず、ご自身が監督になったという話を聞きましたが、どのような気持ちで監督を引き受けたのですか?

以前、ボン・ジュンホ監督の映画に出演したことがあり、その縁でこの映画の監督をお願いしたことがあります。 長いシリーズの物語をひとつの物語にまとめるという難しい作業でもあるので。 しかし、スケジュールが合わず参加できなかったのですが、福岡にいるときにその話を聞いて、ふと「俺がやろうかな」と口にしてしまいました。 ひとりで。


ー小さな独り言から始まったのですね。

日本では「口に出すと現実になる」という言葉がありますが、口に出したこと自体が覚悟なんです。 黒澤清さん、三池崇史さん、是枝裕和さんなど、好きな監督を思い浮かべましたが、彼らに断られると選択肢が狭くなるような気がして。 苦しくなるようなことをするくらいなら、私がやろうかなという言葉が口から出たんです。


ー監督をやると決めてから、最も重要視した演出的要素があれば教えてください。 監督として、従来のシリーズと映画版の違いを考慮して演出した部分はありますか?

まず、どこで何をするのか、ストーリーと場所を探さなければなりませんでした。 映画的にストーリーを広げるために海外に向かいました。 初心者の勢いでとりあえずフランスに行きました(笑)その後、韓国に場所探しに行ったときにストーリーが具体化しました。 いろんな都市を回って、ストーリーが積み重なっていったのです。 ストーリーや場所と同じくらい重要な要素は役者なので、信頼できる役者さん一人一人に連絡を取りました。 演技に限っては演出が必要ない人たちです。 彼らの演技をどう捉えるかが重要なので、アングルをたくさん考えました。 できるだけカットを割らずに、役者さんたちの素晴らしい演技をじっくりと撮りたいと思いました。


ー監督とは広い視野を持って客観的な判断をする人ですが、難しくはありませんでしたか?

俳優として演じながら、映画製作の過程を長年見てきたわけですから、演じながら「こんな風にしたら面白そうだな」「自分だったらこうするんじゃないか」という考えや疑問が私の中に蓄積されていました。 おっしゃる通り、監督は客観性を保たなければならないですよね。 演出家であり映画監督でもある蜷川幸雄先生に演劇の演出を教わったことがあるんですが、「監督は上から全体を見下ろす鳥の目と、地面から小さなものを見逃さない虫の目の両方持っていなければならない」と言われたことがあります。 二つの視線が共存しなければならないと何度も強調されましたが、監督を務めている間、その言葉をずっと思い出しました。 しかし、これは苦しいものでも苦痛なものでもなく、むしろ楽しくて楽しい旅でした。


ー2018年に放送された「孤独のグルメ」シーズン7の時にソウルを訪問したことがあります。 ソウル編の放送後、作品に紹介された食堂が大きな話題を呼びました。 今回の映画では巨済島の九老羅が舞台になりますね。 九老羅を知ったきっかけは何ですか? 韓国的な要素を映画に取り入れたきっかけはありましたか?

私が生まれ育ったのは福岡です。 釜山の対岸の島と言っても過言ではありません。 子供の頃、AMラジオの周波数を合わせると韓国のラジオ放送が聞こえてきて、韓国の音楽や広告がとても印象的でした。 時々、海辺に韓国からの手紙が入ったガラス瓶が流れてくることもありました。 釜山は私にとって心理的に東京よりも近い場所でした。 韓国に対する私の熱い思いが映画で実を結んだと思います。 一方、この映画を制作していた時期は、パンデミックの真っ最中でした。 他の国に行けない時に、海外に行くという話をしたかったのです。 とても遠いパリととても近い韓国を映画の中に凝縮して、観客に親近感を感じてもらえたらと思いました。 さらに、パンデミックで苦境に立たされた飲食店が立ち直る姿を映画に描きたかったのです。


ーグスクラ村では、スケトウダラのヘジャンククッ(滋養強壮スープのようなもの)を味わいました。 映画では「胃を癒してくれる感じ」と表現していましたが、実際の感じはいかがでしたか?

日本も韓国もスープ料理が多いですよね。 豚の骨や鶏の骨は日本のスープ料理にもよく使うので、日本では絶対に使わない材料は何だろうと考えました。 スケトウダラは日本では一度も料理に使ったことがないですよね。 いろんなところを探した結果、スケトウダラヘジャンククッが私たちが考える料理に一番近いスープ料理であることを知りました。 スケトウダラヘジャンククッを探すために釜山の北から南までずっと旅をして下りましたが、この旅程で郡浦の「ジンイネ食堂」を見つけることになりました。


ースケトウダラヘジャンククッの余韻に浸りながら、東京に戻り、オダギリジョーが経営するラーメン屋に向かいます。 ドラマと映画の大きな違いの一つが、飲食店内にフィクションの要素を加えていることだと思いますが、どのようにして飲食店の経営者や料理などに劇的な要素を加えたのですか?

東京・銀座に「たらちゃん」というラーメン屋さんがあるんです。 スタッフに勧められて行ったのですが、とても美味しくて、今では私の大好きなお店になりました。 ぜひ行ってみてください(笑)オダギリジョーが登場するラーメン屋のシーンは、「たらちゃん」で撮影しました。 パンデミックで大変な状況に陥り、悲惨な状況に陥った店を美しく素敵に再建していく姿を見せたかったんです。 当時、実際に私が望んでいたことでもあります。 ちょっと補足すると、撮影先探しに行くときに、日本でとても有名なフードコーディネーターである飯島奈美さんと同行しました。 今までのドラマでは実際にそのレストランの料理を披露していたのですが、映画のために独自にスープを作りました。 飯島奈美さんが釜山から大量のスケトウダラを日本に持ってきてくれて、実際の味を実現しました。


ー劇中の役柄である五郎さんは、映画の上映時間中ずっと「究極のスープ」を探そうと努力しています。 なぜ料理の他の要素ではなく、スープだったのですか? あなたにとってスープはどんな存在ですか?

スープ料理は他の料理と異なり、使用した材料が最終的な仕上がりには見えません。 だからスープを食べるとき、「この味は何で作ったんだろう、何を入れたんだろう、この中に何かが隠されているんだろう」と、その材料を推測し、想像しながら味わうことになります。 多くの材料が溶けて融合したものがスープ料理だと思います。 そういった想像の過程が楽しくもあります。 そして、この特徴は映画にもかなり似ています。 私たちが映画を見るとき、誰かが横で解説してくれるわけではありませんよね。 観ている間、「この人物は何があったからこうなったんだろう」と想像するわけです。 明らかにされる物語の背後に隠された人物の背景や事件などを考えながら鑑賞するわけです。 今回の映画でも、オダギリジョーと内田有紀の二人の夫婦の話は詳しく出てきませんよね。 でも、映画を見ていると、「あの夫婦は過去に何があったからこうなったんだろう」と推測してしまいます。 そうすると、その後に出てくるスープや妻の顔、そういうものが最後に際立ってくるんです。 スープというのは、目に見えないものすごい深みがある料理だと思うので、映画でも「究極のスープ、究極のスープを探せ」という表現を使わせていただきました。 究極のスープが何かは人それぞれだと思います。 それぞれの記憶や思い出に残っているスープの味が究極のスープではないでしょうか。


ー俳優だった頃と監督になった今を比べると、「良い映画」に対する考え方が変わったと感じますか?

良い映画、良い物語という考え方自体はすごくしっかりしています。 映画は、劇場という逃げ場のない場所の中で、暗闇の中で見せる物語なので、それを作るにはとても大きな覚悟が必要だと思います。 劇場に入って座った以上、面白くなかったからといって途中で簡単に出られるわけでもないので、劇場という場所の特性を常に念頭に置いています。 だから、可能な限り情報量を最小限にして、観客がより多くの想像力を働かせることが一番大事だと思います。 登場人物がどんな感情を持っているのか、観客が想像して推測することであって、それを説明で見せるのは良い映画ではないと思います。 暗闇の中で無数の想像が行き交うとき、劇場という場所が最も豊かな空間になると信じています。 この考えは、演技を始めたときから今まで変わりません。 できるだけ少ない台詞で想像の余地をたくさん与えるのが一番です。 今回の映画にはユ・ジェミョンが登場しますが、言語が違うので二人が会話を交わすことはできませんよね。 それでも食べ物を目の前に置いているので、言葉が通じなくても感情を交わすことができます。 個人的にもとても好きなシーンです。 こういうことが映画の大きな楽しみだと思います。 この考えは、俳優をするときも、監督をするときも変わらない信念です。

ー映画「孤独のグルメ ザ・ムービー」は来年初めに韓国で正式公開される予定ですよね。 来年も韓国に来られる予定ですよね?

もちろんです。 釜山で多くの方がこの作品を気に入ってくださって驚きました。 できるだけ多くの方とこの映画を共有できることを心から願っているので、韓国に来てインタビューもたくさんするつもりです。 よろしくお願いします。